あとがき

 

みなさんの心に何かを残せますように…

風立つ道から3年、「息吹」を通して、またみなさんにお会いできる事に感謝します。ずっと待っていて下さった方、最近Lagunaを知って下さった方、そして昔から応援してくれているみんな、本当にありがとう♪ セカンドアルバム「息吹」には、私達がLagunaとして活動する以前から存在した曲も含まれています。まさにLagunaの原点とも言える曲達。その他は、タイトル曲「息吹」を始め、「息吹」の為にできた新しい曲達。 そういう意味で「息吹」は、現在のLagunaの集大成でもあり、これからのLagunaへのはじまりであるとも言えます。過去から今、そして未来へ。Lagunaが、「息吹」が、みなさんの心に何かを残せますように…


ツル ミサコ

 

歌で物語を表現するということ

ラグナの音楽は二つの相反する考え方を内包しています。
一つ、まず「曲」在りき、歌詞は「曲」を補助する存在にすぎないという考え方。
二つ、まず「物語」在りき、曲は語られる「物語」を補助する存在にすぎないという考え方。
一つ、に関しては、お分かりかとは思いますが、歌詞に意味を求めてはいけない歌のことを指しています。雰囲気を伝える為に存在しているので、そもそも日本語で歌う必要も無いのかもしれません。「歌」とは言葉を伝えるための存在である、という先入観があるために、どうしてもなんらかの意味を持たせたくなるとは思いますが、僕はそう考えてはいません。現代における「歌」とは、言葉を伝えるためだけに存在する媒体ではない、そう割り切る事も必要だと考えています。

そして二つ、について。上段にて「歌は言葉を伝えるためだけに存在する媒体ではない」と書きました。しかし、その「歌」が、言葉を伝えるために存在しているということもまた、確かです。ラグナが表現するような「歌」は、小説や演劇とは異なり、1作品が5分程度という制約があるため、(多くの場合は)ひとつの作品の中でその作品に与えられた世界を完結させるしかなく、一定以上の広がりを持つ事が出来ません。そのため「歌」は、実に様々な方向性を与えられた今日においても、物語を表現する媒体というよりは、主に詩(即ち歌詞)を表現する媒体として用いられ続けてきました。しかし、その一定とされる範囲を拡張することによって、「歌」の持つ可能性も同じように拡張することが出来るのです。
その方法のひとつとして、ある筋書きの「その後」を描くという手段が一般的に用いられています。拡張の方法として最も分かりやすく、最も効果的なものであることに間違いはありませんが、この方法だけでは、線を延長しているに過ぎず、世界が一方向へ「延びる」という印象はあっても、並列的に「広がる」ことが無かったのです。しかし本来、物語とは、線でも、単一の面でもなく「多面的な」ものであるはずで、視点を変えることによってそれまで目にすることの出来なかった部分が現れる、という存在であるはずなのではないでしょうか。
つまり、「歌」に新しい視点を加えることで、閉じ込められた世界を広げることが出来るのではないかと考えたのです。

「息吹」は、英雄を語る物語ではありません。
人々の生きる日常の断片を描いた、ちいさなちいさな物語にすぎません。
しかしそこには、英雄の一人称では決して語ることの出来ない日常が「繋がり」と共に描かれています。

耳を澄まして、お聴き下さい。
あなたにとって、想い出深い作品になることを願って。

中山 武大